児玉さんの幼少期
児玉さんは、小さい頃から友達付き合いをワイワイするタイプでなかったようです。例えば、公園の砂場でもいかに高い山を作るかを目指して1人で夢中になっていたり。小学生の頃も、1人石の階段で日向ぼっこしながら考えごとをするのが好きで、先生にも心配されて親に相談されたり。
出典: (http://www.mandarake.co.jp/information/2008/02/23/12nkn06/)より
そんな児玉少年は、本を読むのが大好きだったそう。小公女セーラや秘密の花園のような児童文学、両親が毎月買ってくれる『世界少年少女文学全集』という約600ページあるような厚い本も読みふけり、さらには文学部だった叔父さんの影響で、大日本雄弁講談社(現在の講談社)が手掛ける全集がズラーッと家にあり、古臭く旧仮名遣いのその本のルビを辿って読んでいました。そんな文学少年の一番のお気に入りは意外にも百科事典。調べるためにではなく、読み物として愛読していたそうです。内に秘めた情熱を特に誰かに語るわけでもないけれど、そんな本が与えてくれるまだ見ぬ世界を想像することに夢中になっていたのだとか。
三省堂書店との出会い
実は児玉さん、もともとはライセンスを取得しパイロットになることを目指していたのだとか。まさに子供の頃憧れる職業でもあるけれど、それを実際に目指していた方とお会いしたのは初めて!
しかし、児玉さんはパイロットになることを諦めます。学校に通いながら工学を学び、そこで地元名古屋でアルバイトを始めるのです。それが、時給も高かったことが決め手と言う(笑)三省堂書店との出会い。それから入社をしたのかと思いきや、専門の工学を活かして自動車会社の営業をやっていたのだとか。
やがて今の奥さんと結婚し子供も生まれました。そこでなんと児玉さんは営業を辞め、バイオリン講師の奥さんと二人三脚で働きながら再び三省堂書店でアルバイトを始めます。1年間務めた後、社員登用試験を受けて社員となったのでした。
児玉さんが社員になってまず手掛けたのは「OASYS Lite」という家庭用ワープロを各店で販売すること。1984年当時、機能削減を図っても22万円したそうだが随分売れたそう。実はこれまでにもビデオやレーザーディスクのレンタルも開始するなど、話題性のあることにも果敢に挑戦している三省堂書店。そこには、書店は本を売るだけではなく総合情報産業だと考える前社長の考えもあったのでした。
図書館のデータベースをITで管理するといった取り組みもありその営業活動では大手町や人里離れた研究所などを周り、神保町という町を意識するようになったのはここ10年くらいだそうです。神保町の坂や史跡をSNSで紹介したり、神保町に根付いている三省堂書店としての取り組みをはじめたのだとか。
そんな三省堂書店での取り組みから改めて目を向けてみた神保町という街。そこで感じた児玉さんなりの魅力を次回はご紹介していきます。
【ライター紹介】
ちさと
10〜20代女子対象のイベント企画サークルで活動して約5年。2年前からは広報担当としてブログも日々更新している。就職活動を目前にして「女子大生が働くことを身近に感じられるきっかけを作りたい」との思いから、スターバックスのアルバイト・保険営業マン・野菜ソムリエにインタビューを行う。1年前からは求人サイトでの見習いをスタート。「働き方」「インタビュー」「女子」「おじさん」が大好きな、都内の大学に通う4年生。
7月からEDITORY神保町にて、「女子大生から見た神保町の魅力と働き方」をテーマにインタビュー記事を担当。